家づくりをはじめたきっかけ

~アベケンの誕生まで・・・

昭和22年3月6日、父は46歳、母は42歳。

 

場所は、岩手県二戸群荒沢村大字浅沢字土沢。(16軒の集落地。現在は八幡平市)4人の兄と3人の姉の8人兄弟の末っ子として、私は阿部家に産まれました。当時、両親は僅かな田畑を耕し、傍ら炭焼きをして生計を立てており、いわゆる貧乏のどん底でした。上の兄2人(利男と昭男)が産まれて間もなく病気(栄養失調が主な要因だったそうです)で亡くなってしまったそうです。

 

 私が誕生した時に、父がその二人の兄への想いを胸に、二人の名前を合わせて「利昭」と名付けたとのことでした。

学校の弁当は、ひえ入りご飯とおかずは味噌漬け大根、昆布の佃煮が毎日でした・・・。

他の生徒は卵焼きや塩ザケなどが入っており、羨ましく思いましたが、それでも食べれるだけ幸せで、いつも美味しく母の弁当をいただいてました…。

(左から2番目が私です)

テレビを初めて観たのは、学校に届いた小学校4年生の頃だったでしょうか・・・。当時は、電波の調子が悪く、長い丸太の先にアンテナを取り付けて、 校舎の屋根に大人が2~3人登って押さえていました。

 

観れるのは相撲の番組だけで、その時は村中の人が集まり教室に入りきれない程でした。テレビに夢中のその頃でしょうか。 テレビに出たいなぁという想いが、密かに湧き出てきました。

相撲を取るには、体格的に小さかったので難しいなと子供ながらに感じてましたが、当時は相撲の呼び出しの「小鉄」さんの全盛期。 私は声には自信がありましたので、「呼び出しか行司」なら出来るかもしれない!!そのためには、まずは東京へ進出しなければ!!と小さいながら夢を抱き始めました。

 

中学の時に、親戚の大工さんに建前(上棟)の手伝いを頼まれて行きますと、大工さんが意図も簡単に木を組み立てている様子を見て、 「凄いな~」と、また傍らで設計図を見ながら大工さんに指示をしている人の光景を見て「恰好いいな~」と、感じました。

その時です。

そうだ、東京でこの仕事をしながらテレビに出るチャンスを作ろう!!と安易に考えたものでした。人から話を聞くと、 建築の仕事をするには多少の知識を身につけてからの方が良いとの事でしたので、建築の学校へまずは行こうと思い、秋田県立鹿角職業訓練校建築科へと入学。寮生活で1年間勉強し、 訓練校の先生の計らいで、平塚市宝町の高木工務店さんに住み込みでお世話になることになりました。

 

昭和38年3月27日の夕方。集団就職列車で、故郷の荒屋新町駅を出発。駅まで見送りに来てくれた父が、涙を浮かべながら「いいか利昭、偉くならなくても良い、 他人からあの人は良い人だなと言われるような人になれ」、そして、「石の上にも3年だ、3年間は帰ってくるな」と言われたことが、今でも鮮明に覚えています。後に、 この言葉が私の歩むべき人生を決めたきっかけになったのだと思います。数日後、父から手紙が一通届きました。

 

私が経った夜、父母は心配で一睡もできなかったそうです。考えてみれば、まだこの時は16歳の子供ですからね。列車は集団就職ということもあり、同年代の集まりでした。

各駅から次々と同じ位の子供たちが乗車。出発する度に、「ほたるの光」の曲が流れ、その度に列車の中からはすすり泣く声が色々な所から聞こえてきました。 夜行列車の為、翌日の3月28日の朝に上野駅に到着し、そのまま乗り換えて平塚駅には昼頃到着。まだこの頃は水色の駅舎だったような記憶があります。

 

7帖の部屋には兄弟子さん3人と同室。自分の持ってきた布団を押入れにしまったところさっそく高木さんのお婆ちゃんから一言。 「兄弟子の上に重ねるな、何時も自分の布団は下にしなさい」寝る時に、兄弟子の布団を先に敷き朝は一番先に起きなさいという意味だったのでしょう。

この時からすでに、職人生活がスタートしてたのです。

そして、いよいよ大工修行がはじまりました。

休日は第1,3日曜。その内1日は、親方の道具と自分の道具を磨く為の日でしたので、実質休みは1日だけでした。 内心は「呼出しか行司」をやりたいという野心があり、最初はそれまでの辛抱だという気持ちでした。

 

そして、親方の目を盗んでは、小鉄さんを何度か尋ねました。

なかなかお会いできませんでしたが4回目にやっとお話を聞いてもらうことができました。その時、小鉄さんからこんな言葉をいただきました。

 

「君が私の子供だったら絶対に呼出しの仕事はさせない、お父さんが言われるように今の仕事を3年間一生懸命修行して、それでもこの夢が残っていたなら、 また来なさい」そんなお言葉をいただき、その晩ラーメンをご馳走になってその日は帰って来ました。

それから大工の修行に打ち込みました。

19歳の時に開催された神奈川県青少年技能競技会に出場し優勝することができました。

式場で、高木工務店さんの親方が客席から大きな涙声での声援と拍手を送ってくれた姿を見て、本当に私のことを可愛がってくれていたんだなぁと、しみじみ感じました。

(左は20歳の時の現場での写真)

あっという間の3年間が過ぎました。

その頃には家を造る慶びと、全てのお客様から感謝のお言葉をかけて頂けるこの仕事に充実感と誇りを感じ、この仕事しか私にはないと決意しました。

高木工務店さんの親方の厳しい修行を足かけ7年間お世話になり、親方の許しを得て、他の工務店でも修行させてもらい木造建築に絶対の自信を持った23歳の時に独立しました。 創業以来、数え切れない数々のお客様の住まいづくりに携わって参りました。

 

今でも多くの方々と末永いお付き合いをさせていただいております。

 

「 建物が完成してから、本当のお付き合いが始まる 」

 

この心を胸に日々精進し、アベケン全スタッフがこの心を胸に日々お仕事をさせて頂いております。